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下之郷遺跡と遺跡の文化(弥生文化)


全国で有名な多くの遺跡は、かつて国を治めていた場所ですが、下之郷遺跡は弥生時代の生産と生活の場所の遺跡です。

                 
下之郷遺跡について




(守山市教育委員会『弥生のタイムカプセル−下之郷遺跡』,2001年3月」より抜粋)

「下之郷遺跡は、三上山を頂点として広がる野洲川下流平野のほぼ中央部に位置しています。ここは扇状地の末端で、地下の伏流水が地表に湧きだしてくるような水源地帯にあたり、生活を営む上でたいへん適した場所だったといえます。」




「昭和55(1980)年、下水道工事のときに弥生時代の土器や溝のあとが地下から見つかり、下之郷町に弥生時代の遺跡があることがわかりました。

大きな濠や井戸跡、そしてたくさんの石器、土器、木器が出土して、この一帯に今から約2100年前の<ムラ>の跡があったことがわかってきました。」

「下之郷遺跡は、<環濠>と呼ばれる大きな溝がムラのまわりを囲んでいて、約22haもある巨大な集落跡です。

その中心部では、さらに溝で四角く区切った場所があって、そこから大きな建物跡が発見されました。

環濠やその周辺では、銅剣や戈の柄、弓、盾などの武器がたくさん見つかることから、当時の国の中心地がこの下之郷遺跡だったと考えられています。」


現在、22名ほどで「下之郷町遺跡公園を考える会」を結成し、他の遺跡にも訪れたりと、遺跡の勉強会を行なっています。
今まで遺跡の調査やその後については、専門家のみで行なわれており、地域との関係がなかった。しかし現在、遺跡公園づくりには地元の考えを反映すべきという流れになってきています。

下之郷遺跡でも、地域住民の意向を反映した公園を作るために、住民が参加することになりました。

〜地元に伝わる伝統的な食べ物や祭り、遺跡などの文化を発信していきたい〜

〜遺跡の文化を生かしたまちずくりを進めていきたい〜