金森町 (かねがもりちょう)
平成16年7月更新


                                ようこそ、金森町へ!    


金森町自治会長  西村 利夫
水車の大改修にとりくむ水辺環境部会員(04年4月25日)
 わが町、守山市金森町は昔の政治の中心地であった京都に近く、中山道を守山の宿で折れて、湖上を京都に急ぐ志那街道の要所として栄えたところでした。

 蓮如上人が比叡山の僧兵に追われ、約3年間金ケ森に居られたことが、  「懸所・金森御坊」「蓮如池」などとして、今にその名をとどめています。

 また、織田信長が比叡山を焼き討ちする直前、金ケ森と三宅に結集した一向宗徒の抵抗に合い、激しい戦闘をくりひろげました。

 この金森町付近には、旧野洲川の本流があったことから、伏流水が湧水として溢れ出し、五ケ処に湧水池が50年前までありましたが、経済の高度成長の影響を受けて枯渇するなどそのすべてを失いました。

 その後、最近になって「池を造って、昔いたハリヨを育てよう」「ゲンジボタルの棲む自然環境をつくろう」という町民の願いが高まり、行政の協力をえて、必要な整備をすすめてきました。

 また、今年度の自治会活動の柱として、自治会の会則改正にとりくんでいます。
歴史ひとくちメモ
金森町は親鸞の教えを広めた蓮如が三ヵ年居住し、ここを拠点に布教活動をしていたことから、他の町にみられない伝承行事があります。

また、このことと関連して寺内町(*下記参照)を城として、織田信長との金ヶ森合戦をくりひろげました。
その後、信長が金ヶ森を経済政策の要地と定め、楽市楽座を開設するなど多くの歴史があります。


この町で、水辺環境に関わってのまちづくりが意欲的に展開されており、その一端を紹介します。
感想、ご意見などお寄せいただければ幸いです。

*寺内町・・・浄土真宗のお寺を中心に環濠がつくられ、ここで住民が生活し、商業などが営まれていました。


高山市のRYO(リヨウ)さんが
金森長近と金森町について紹介されています
ぜひご覧下さい



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