土橋

 現在の土橋は写真の通り川幅5.5m、長さ5.4mですが、古代は野洲川の本流(旧河道)で琵琶湖に流れた砂洲によって烏丸半島がつくられた大河でした。

 壬申の乱(672)で激戦地「安河の戦」の場所とも言われています。この川の右岸流域には勝者側の天武・持統朝・白鳳時代の社寺遺跡や歴史的遺物の多い所です。

土橋は栗太郡物部村今宿と野洲郡守山村の境の吉川にかかる橋で、江戸時代は瀬田の唐橋改修の古材を使用し幕府御普請橋でした。

文化14年(1817)の古文書によると長さ20間(約36m)幅2間(約3.6m)の板橋と記され、舟運もありました。

明治29年(1896)の大洪水以降、川、橋ともにたびたび整備され現在の橋は昭和63年(1988)に完成した欄干つきのコンクリート橋です。

江戸時代の広重の守山宿の浮世絵を参考に掲示します。

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