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地誌・歴史

欲賀町は古文書等によりますと、その昔の地名は「淡海国野洲郡結園荘欲賀郷」と呼ばれていました。
その後、滋賀県野洲郡小津村大字欲賀となって、更に市町村の合併を経て、現在の「守山市欲賀町」になりました。

この「欲賀(ほしか)」は古文書などによると、飛鳥時代(690)の頃、今の守山の岡町辺りから森川原に至る一体は丘陵地帯になっており、この小山を都賀山と称せり・・・と書かれています。
 この都賀山の麓に沿って流れる川を「結園川」(現在の境川)と呼ばれ古来より野洲川四川の一つとして川幅も広く常に豊かな水が流れていましたが、雨季ともなればその姿を一変して濁流が激しく、それによりこの都賀山は削り取られ永年にわたる流出した土砂の堆積によって、その川尻(現在の草津市下物町)に烏丸半島なるものを形成したと伝えられています。


この図は、建設省国土地理院長の承認を得て、同院発行の空中写真を複製したものです。
(承認番号 平12総複、第310号)

 そして、この近くに温かな泉が沸き出でて怪我や病める人々に大いに役立ち、それが何時しか信仰厚き持統天皇の耳に入り、「これぞ薬師如来の御恵み」と病寮院を建立され、湯が出たことから「湯出山 欲賀寺」としての称号が与えられ、それが現在の町名の由来であると伝えられています。

 因みに、このお寺は開基の頃は天台宗の寺院でしたが、その後浄土真宗に変わり、寺院も改名され「湯出山 淨光寺」として当町の南出の地に現在もお念仏のお寺としてその姿を残しています。
欲賀寺跡



区画整備について

地図にカーソルを合わせると整備後の完成予想図に変わります。
昭和62年6月より施行の集落地域整備法に基づく制度に乗じて集落整備に取り組みました。
 
 この事業の対象となる集落地域の条件には、公共施設を6%以上含む事などの制約がありましたが、それらの条件に適合したのが当町でありました。

以来、関係者が度重なる会合を開き、説明会やヒヤリング等を行い本事業の実施に向けた精力的な取り組みを行ってきました。

 事業の目的とするところは、虫食い的な農地の開発利用に歯止めをかけ、良好な営農条件と居住環境の確保を目指して、実に10数年余に至って町民の理解と協力を得て進捗してまいりました。

 今後の予定としては、平成19年完成を目標に自治会館を中心に区画整備事業を推進して21世紀に相応しい町作りに取り組む計画であります。