ほたるの森資料館について
〜守山のほたるの歴史〜

守山は、古くからゲンジボタル(守山ボタル)の群生地として知られていました。明治35年(1902)から天皇陛下への献上が始まり、大正13年(1924)12月9日には第1号の天然記念物の指定となるほどに、ほたるが飛びかっていたのです。

 しかし、戦後、農薬や家庭排水等による水質悪化や水源の減少等が原因となり、ゲンジボタルは絶滅しました。
 そこで、昭和54年(1979)から守山市は、自然環境を取り戻すため、守山が輩出した故南喜市郎氏のホタルの研究結果を取り入れて、「ホタルのよみがえるまちづくり事業」に取り組みました。市内の鳩の森公園内に人口河川、研究室を整備し、ゲンジボタルの室内飼育、カワニナの養殖を行い、人工増殖の研究は順調に進み、現在では多くのホタルが飛ぶようになりました。




 南喜市郎氏は、明治29年(1896)10月23日守山市守山町(泉町)に生まれた。

 旧滋賀県立八幡商業学校を卒業後、家業の醤油製造業を手伝っていた。大正8年(1919)青年団長の時に本山彦一氏(元大阪毎日新聞社社長)が守山を訪れ、ゲンジボタルの研究を勧められた。
 その後、岐阜の昆虫学者である名和靖氏の依頼で、守山での生態調査の案内役をし、調査研究に協力した。以来、人工飼育に取り組み、昭和30年(1955)に初めてホタルの羽化に成功し、昭和36年(1961)40年間の研究観察のまとめを ホタルの研究 として著し、5年後 ホタルの新しい飼育方法(恒温水槽法) を著した。

 また、昭和43年(1968)には全国ほたる研究会を発足させ、初代会長に就任するとともに守山で第1回研究大会を開催させた。昭和46年(1971)2月20日、永眠するまでホタルに全力でうちこみ、多くの功績をあげられた。
南 喜市郎 氏