赤野井湾湖底遺蹟(6千数百年前)により現在水面下の水底の部分が、縄文時代の頃には 人々が生活できる陸地でありました。 琵琶湖は県下に降った雨水を貯め、瀬田川1本のみから排水しています。そのため、大雨 による田畑の冠水が続いていました。 そこで湖岸住民の陳情により、ようやく明治44年に瀬田川の浚渫工事が終了し大規模な 被害がなくなり、赤野井湾の湖岸線の様子も南郷洗堰が設置された後は大きな変化はみられ なくなりました。
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| 引用文献 「守山市誌自然編」 守山市誌編纂委員会(1996) 「琵琶湖研究所所報17」 滋賀県琵琶湖研究所(1999) |